植物身辺帳

植物身辺帳

種植えて新芽出て伸び葉が茂り蕾が出来てついに花咲く

さて新年だ。

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去年の冬至ごろにすでに年が開けたような気分でゆったりしていたので、年が暮れても開けても始終ゆったりとして座ったり横になったり、こんな正月はこれまでなかったな、と思った。

そう思ってなんでまたこんな気分で年を越したのやろと思うと、なんやかんや落ち着いたり見通しが立ったりしたのもあるだろうけど、そういうのも抜きにすると暦からの距離ができたんかな、と思った。

そりゃまあもちろんこの15年ほど曜日とあんまり関わらんような生活をしているのやけど、関わらんとは言うても、なんと言うても暦やもん、大きな物語ですよ。それはやっぱり横目に気になってはいたのやろね。

けど今年気にならんというのは距離ができたということで、ということはもしかすると受け入れたんかな、自分の物語を、とかって思って今日なんか車走らせながら嬉しかった。それか、マア、開き直りの三太郎というか、あるいは図々しさよ三十路の半ばという奴か。

実際のところその辺の具合がどんなもんかは知らんけど、ほんで知らん間にあった距離ができたことへの拗ねみたいなのも知らん間に無くなったのかは知らんけど、なんか知らん社会というものはあるものだなあ、と思った。(なんか知らん)

そう思って、知らん間にいなくなってしまった大人のひとたちが帰ってきたらええ加減駄々をこねてやろうという気分もなくなって、マアエエカというような気分になった途端、同じ部屋にそのひとたちがずっといたことに気づく平和な喜劇。そんな風なおかしみがある気がして自分を(自分と)笑った。

それでも距離は適宜あって(たぶん)、それを含めて受け入れて(おおむね)、そうするとかえってそれをそれとして尊重するような気持ちが生まれるものだ。道行く人の興に添えて、松と南天を活けてみたりしたのも楽しい。

さて、そういうわけで2018年、明けましておめでとう。

明けましたね、今年もよろしく。