植物身辺帳

植物身辺帳

種植えて新芽出て伸び葉が茂り蕾が出来てついに花咲く

形あるもの

たしかなものを手にしたい。

なにがリアルなのか、本当にリアルなもの、あるいは本当のリアル。

本島のリアルというと泡盛の水割りでしょう、とまたしょうもないことを言いつつ、近所で買った焼酎を炭酸で割って飲む。

自分の感触に立脚してしばらくやってきて、それでときどき不具合が出るようになって、見失って、また思い出して、ということを繰り返した道のりであったような気がする。

それを振り返って危なっかしいな、と思う。

そしてその思い出すということがなかったら、と思うとこれもなかなか厳しいものがある。

そしてもちろん思い出されることなく埋もれた価値もたくさんあるだろう。

どれだけの価値を埋もれたままにしてきたことか。

 

思い出す、ということを今日はしばらく考えていた。

思い出すとき、というのは唐突に現れるけれど、しかし常になにかそれを引き出してくれるなにかがそこにはあった。

それは人の言葉、人の活動、その結果、風の匂い、空の青み、クローブの刺激、茶の香り。

さまざまな物語。

私はそれ自体がひとつの価値であるようなそれらに触れて、価値を思い出す。

その価値へ向かうというドライブもすでにして価値で、そういう循環がここにはある。

貨幣、物語、欲望、生命。

こう並べると人のすべてではないかと、短絡した私は思ってしまいそうになる。

シンボリックな循環の中で、やはりその強度を増して、彌増しに増し坐してゆきたいとこそおぼえけるとぞ。