植物身辺帳

植物身辺帳

種植えて新芽出て伸び葉が茂り蕾が出来てついに花咲く

灯台を守る仕事について

ああ、やはり立憲主義とはかつての私たちが勝ち取ったものだったのだ。

政治力学への自分の認識の甘さを反省しつつも、そう感じずにはいられない。

 

 自民党の高村副総裁は、記者会見で「両党が集団安全保障も含めて、閣議決定の文案で合意し、年末までに行う予定の日米防衛協力の指針=ガイドラインの見直しの準備に間に合うようなスピード感でまとめていきたい。政府は両党の議論をよく聞いたうえで『最終的なものだ』ぐらいの閣議決定の文案の概要を次回、来週24日の会合に示してほしい」と述べました。

「集団安全保障措置」提案に公明反発 NHKニュース

 

スピード感とはなんとも妙な言いであり、まるで何かの理由があって契約を急ぐかのような口ぶりである。

少なくとも国家的な重要事項に求められる熟慮の結果には見えない。

実際のところ6日までに閣議決定する方針らしい。

 

ただこれで即ち憲法が変わるわけではない。

冷泉氏は解釈改憲についての手続きについて説明しつつ、アドバイスを書いてくれている。

 

 一つは、内閣が「自分の解釈に従って」関連法案を提出した場合に、それが国会という立法府の審査を経るということです。そこで可決成立すれば、事実上の「解釈改憲」に近づくわけですが、その際には民意の反映ということが重要ですから、大いに反対運動をしたらいいのです。

 もう一つは、最高裁です。仮に法律が成立したとしても、最高裁違憲だと判断すれば、その法律は事実上無効になり、内閣の企図した解釈変更も無効になります。最高裁は、明治以来の歴史の中で民意からは「超然」としていましたが、そうは言っていられない時代です。この段階でも大いに反対運動をして違憲審査を勢いづけることは可能と思います。

何度聞いても分からない「解釈改憲」反対論 | 冷泉彰彦 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

改憲についての議論が活発になること自体は悪くないし、正統なプロセスの中で改憲ということになれば、そのプロセスの責任者としての私達の務めはその憲法のもとで善い形を創っていくことだろうと思う。

つまり重要な価値の条件は正統な法的プロセスにあると考える。 

 

まず守るべきはプロセス、迂遠なようだが具体的な価値について議論の議論はその上にしか載らない。

 

それにしても国民投票の発議にかかわる96条改正論はチェックされる側がするような話なのか。

それにも関わらず、なんであんな話がまかり通っているのだろう。

安倍晋三首相「憲法96条は改正すべき」再び意欲を表明

憲法96条改正に 異議あり!! - 日本弁護士連合会

 

冷泉氏も言うように、安倍政権憲法を明確に飛び越えているわけではない。

例の内閣法制局長官人事にしても、通例とは異なった人事であったとはいえ、内閣法制局設置法に規定された内容を逸脱していない。

ではどうしたらよいのか。

再び冷泉氏のアドバイスが参考になる。

 

 勿論、今の国会では「ねじれ」が解消されているので、立法府と言っても独立性が薄いとか、最高裁判事への国民審査制度が事実上機能していないなど、司法権の独立性にも疑問があるのは事実です。

 だったら、「立憲主義」を脆弱なものにしているのは、そちらの方であるわけです。例えば国会では首班指名以外の党議拘束をやめるとか、最高裁判事の国民審査には「罷免運動」を認めるとか、少なくとも各判事が2回の審査を受けるように初任年齢を下げるとか、「三権分立」を強化する方向での「解釈改憲」をやったらいいのです。このような改革であれば、条文改正をしないでも可能です。

 同上

 

チェック機能は実際のところ、どのように担保されているのか。

先日の大飯原発3、4号機運転差止請求事件は「司法は生きていた」のポップな文字が皮肉なのかなんなのか、個人的に不思議な感触を残した裁判だったが、それにもまして判決要旨は感動的だった。

法曹の矜持を見る思いをする判決要旨であり、判断についての一部内容は各自暗誦できるようにすべきである。

 

技術についての裁判所の判断について

新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質やもたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差止めの可否を裁判所において判断することは困難を極める。しかし、技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には、技術の実施に当たっては危険の性質と被害の大きさに応じた安全性が求められることになるから、この安全性が保持されているかの判断をすればよいだけであり、危険性を一定程度容認しないと社会の発展が妨げられるのではないかといった葛藤が生じることはない。原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。

 

安全余裕について

このように設計した場合でも、基準を超えれば設備の安全は確保できない。この基準を超える負荷がかかっても設備が損傷しないことも当然あるが、それは単に上記の不確定要素が比較的安定していたことを意味するにすぎないのであって、安全が確保されていたからではない。したがって、たとえ、過去において、原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても、同事実は、今後、基準地震動を超える地震大飯原発に到来しても施設が損傷しないということをなんら根拠づけるものではない。

【速報】大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文を掲載します / NPJ

 

また運動も実際に起こっている。

たとえば先日の立憲デモクラシーの会の会見は見るべき内容が多い。

 

【要点】

1 内閣の憲法解釈の変更によって憲法9条の中身を実質的に改変する安倍政権の「方向性」は、憲法に基づく政治という近代国家の立憲主義を否定するものであり、「法の支配」から恣意的な「人の支配」への逆行である。

2 首相が示した集団的自衛権を必要とする事例等は、軍事常識上ありえない「机上の空論」である。また、抑止力論だけを強調し、日本の集団的自衛権行使が他国からの攻撃を誘発し、かえって国民の生命を危険にさらすことへの考慮が全く欠けている点でも、現実的ではない。

3 「必要最小限度」の集団的自衛権の行使という概念は、「正直な嘘つき」と同様の語義矛盾である。他国と共同の軍事行動に参加した後、「必要最小限度」を超えるという理由で日本だけ撤退することなど、ありえない。また、集団的自衛権行使を可能とした後、米国からの行使要請を「必要最小限度」を超えるという理由で日本が拒絶することなど、現実的に期待できない。

4 安全保障政策の立案にあたっては、潜在的な緊張関係を持つ他国の受け止め方を視野に入れ、自国の行動が緊張を高めることのないよう注意する必要がある。歴史認識等をめぐって隣国との緊張が高まっている今、日本政府は対話によって緊張を低減させていく姿勢をより鮮明にすべきである。

立憲デモクラシーの会

活動・発言の記録

 

私たちが一人でできることは小さいことかもしれないし、自分の発言や行動の結果がニヒリズムのムードの中で雲散するのを見るのは気持ちのよいものではない。

しかし、だからといって屈して何かをやめるとしたら、それはニヒリズムが価値の芽を摘んでいくのを傍観していることになる。

自分たちがそれぞれ信じているものがまとまって世界をつくる力となる、そのような契機は常に私たちにおいて在るのだ。

ニヒリズムに屈しないための自戒も込めて、秀嶋賢人氏の次の言葉をここに引用しよう。

 

名もなき、灯台守のひとりになろう。そう思え、行動できる人は、いまこの世の中に、どれほどいるのだろう。

(中略)人が名もなき存在でありえるのは、守るべきなにか、照らすべきなにかのために、そこに存在すること、それ自体への誇りと使命があるからだ。

人なのだ。大欲があってもいい。だが、それを姑息に防波堤のひとりであるかのごとく、装ってはいけない。灯台守のひとりであるかのように、謀ってはいけない。

 姑息な装いと人心を侮った言葉と行為が、いまこの社会に悲しみを溢れさせようとしている。

名もなきもの - YOSHIHITO DIARY - Yahoo!ブログ

 

私たちが織る物語は次第に大きな布となって世界を包む。

そう信じて自分ができることをする他に道はないだろうと思う。