植物身辺帳

植物身辺帳

種植えて新芽出て伸び葉が茂り蕾が出来てついに花咲く

白い板に刻まれた痕跡

あるものとの関係を事情があって取りやめて後、3日ほど悶絶のうちにあった。

苦しみ悶えて気絶すること、の語のごとく数度にわたって気絶した。

 

愛する人に気を支えてもらいつつ、私は私のうちに再臨した。

その数日はカレンダーを見ても、携帯の日付を見てもピンと来ないほどの長い時間で、それを過ぎて初夏の快い風に吹かれながら、これだけの期間でかくも濃密な……と心象風景を驚きとともに見返すのであった。

最中には自分の中で乱痴気騒ぎが繰り広げられている、と思っていたが、今となってはしかし抵抗と気流が衝突して起こった自然現象だったのかもしれない、という風にも思えて、いずれにしても強烈な時間であったと思い返している。

 

現在は多少の熱が目に篭っている以外は概ね快適である。

それをもってこれほどの熱を押さえつけていたのかと思うと、背筋が寒くなるように感じられるが、それよりもむしろ熱の交換を他者/外部と行うことができるようになってホッとしたというか、本来性との密なコミュニケーションを歓迎する気持ちの方が大きく、なかなか愉しい時間を過ごしている。

 

首周りも幾分かスッキリしたように思えるのは気のせいか。

まだ肩甲骨から脇のあたりにかけて詰まっているようであるが、おそらくは目の熱とともに流れるものであろう。

 

それにしても強烈な体験であった。

そしてあらためて世界へと久しぶりに(何時ぶりだろう)戻ってあたりを見渡すと、ヌーメノン近くの世界はやはり確りとしているものだと思われる。

乱痴気騒ぎの一方の張本人はそんなところに行くと解体してしまうぞ、と主体を脅かしていたが、解体したのは彼の世界であって、そのシーツを剥がした世界はちゃんと理られているのであった。

シニフィエシニフィアンの関係が恣意的だからと言って、言語を創ることができるのではないかと考えるのは傲慢による性急のなせる業であって、自分で創ったもので世界を切り刻むなどというのは以ての外、主体など生まれるよりもっと早くに、その身体の、その網膜よりももっと深くに、分節は刻み込まれている。

シーツの皺や襞に目を取られて、世界を観るなどと言っても何ほどのこともなく、ただ其処への拘りによって、傷を付けるべきではないものに傷を付けてまわっていた。

薄いシーツの下からの悲鳴など聞こえる筈もなく……。

 

安心し給え。

見よ、君が刻もうとしているその陶地を。

その陶地に既にして入った貫入を。

その布地を取り去って、

タブラ・ラサの美しい罅目を、

その目で確りと観るがいい。 

 

ミントティーを貰ったのを今から淹れて飲もうと思っている。

フィクションフィクション!