というかなんというか。
ある空間の魅力をずっと考えている。
この下の写真もなんか魅力的というかなんというかで、だからこの写真がその魅力のストレートな定義ではないにしても、その側面としてある一定の世界を示している。
なんというか、かんというか。
よくわからないので、いくつか例をあげつつ考えつつ。
この下のもそういうのを感じる。
そこからすると次の写真にはそういう風なアレがない。
宙に浮いた感じ?
緑があるかというのはひとつの要素にすぎない。
だってこの下の写真にもそういう魅力を感じるから。
要素にすぎないとか言いつつ、上のとかこの下のとかミスリーディングかもしれない。
魅力的な要素が多い。
この写真で言えば壁からベンチへ一体となった造りの安定感のある美しさ。
それは必要条件ではない。そういう風な要素の総合なのかもしれないけれど。
(と、言いつつも上の写真はそれほどか。)
それからすると、もしかすると上のこの写真に感じるのはそういう意味の総合なのか?
と考えても、やはり、そういうわけではなくて、ひとつの独立した世界と、そしてその世界が外に開かれていたり、開かれる準備ができていたり、というような、言葉にしづらいけど、その辺の話だと思っている。
この上の図に、開かれる可能性がなくなってしまっては、ただのモデル。
ここでの美しさを担保しているのは、しかしやはり、構造上の下線なのか。
上のgif、これくらい独立していても面白い、建築というか、そのへんからは離れてしまうけど。
ここんちは住みやすそうではある。
けどさっきからの話の点に絞った場合、自分が少ない(?)というような、なんというか、<今/ここ>性が把持されていないような印象を受ける。
住みやすそうやし、いいお茶が入りそうだけど、とかって勝手なことを言いたい放題でかなり失礼な話である。
いい部屋だと思う、ごめんね、例の話をしたいだけなの。
それからするとこういうところの<今/ここ>性はとても強く、なので、こういう場所をうっかり飲み屋で作ってしまうと酔った人がここに集まってしまうことになるだろう。
特に貸し切りなんかにしたときには幹事さんが大変だ。
けれどやはりそれだけの魅力、あるいは力を持った場所だということだと思う。
上は建具含めての魅力ではあるが、テラコッタの床石とスレート鉄骨にはそういうのを創りだしてしまう力がある。
自分で空間を作るというときにはそういう知恵があるといいと思う。
上の写真には開かれた具合が少なく、一方で自分がしっかりあるのでこちらとしては視線でなぞるうちに「そこへ行く」ことになる。
それぐらいの力があって、だから少しずれるようだが魅力は多いように思う。
実際のところ行ってうろうろしてみたい。
空間だけではない。
ポートレートなどもそのような種類の世界性に関する魅力を感じさせるものがある。
この上下で言うと、どちらかといえば、上の図は開かれが大きく、観るこちらもその世界の中に入ることになり、とてもよい写真(?)であるが、今回のテーマからすると少し物足りない。下の図は開かれと独立のバランスが見事。
そういうふうな事情である。
とか言って、あくまでも印象論に過ぎず、こういう話もなかなか難しいものであるなと感じているが、何も言わずにおいといて、絶えぬ流れのなかに過ぎ去ってしまうのが惜しくて筆を執った次第。
そしてあいかわらずキャリーちゃんはキュートかつ魅力的である。
可能な状況にありながらグレート・ギャツビーを映画館で見逃したことについては甚だ遺憾であり、甚大なる機会損失と言わざるを得ない。
当局としてはこの件をふまえ、今後も継続して状況を注視しながら対策に取り組んでいきたいと考えている。」として状況改善に取り組む姿勢を見せました。
こちらからは以上です。