植物身辺帳

植物身辺帳

種植えて新芽出て伸び葉が茂り蕾が出来てついに花咲く

東風吹いて匂いおきたよ

f:id:tprr65:20180225015421j:plain

凹凸を重ねると長方形になる春

世界はすっかり春めいて、おかげで外で作業ができるようになって嬉しい。

今日はスツールのほぞをノミでコツコツとキメていた。凸の方は鋸でまっすぐ切ったらできるところを段違いにしてみたり斜めにしてみたり。また凹の方もできてみたらきつかったり、広かったり。ちょうどいいのもあるにはあって、そんなのができると気分よかったけど、そうしようとしてそうしたとはなかなか言えないのがツラいところだ。

そんなこんなでほぞの強度とかいう話をする前段階にあって、珍しくちょっと自信を無くしそうになりながらやっていたんですよ、今日はね。けど刺さってよかった(笑

「できると信じる」という精神論と言われそうな思いが自分の中に出てきて、でもそれはそれで大事にしたいと思った。そう信じることで目が開かれるなら、それは成功へ近づいていると言っていいのではないかね、とかって言って。

引き続きやってく。

 

棚増設へ

村上家は世界と共に春を迎え、いよいよ生活環境が変わるのではないかと水面下で囁かれていたものの、蓋を開けてみると変わらんで良くなったので拍子が抜けて、はてさてエネルギーのやり場はどこであろというような状況に突入したのであるが、そんな中で自分にできることと言ったら棚を増設することである(やっぱり)。

 

そうするとすぐにどこへ付けるのかという問題が出てくる。

どこだろう?棚を増設するには壁がいる。しかし主だった壁には棚をつけているのだ。

そうなってみると今の一枚棚の贅沢さがもどかしく、見ていると様々案が出てくる。ここは5段いける、ここはせめて3段を、等々。

 どういう風な棚の運用をするかってのも大事なんやろね。つまりその段にどういう機能を持たせるかっていう。台所の台の下の棚は箱を入れたものの、入れるものが部分的にしか定義されていないのでとりあえず入れられたものが定義済みのものと混在している。ノート置き場にチラシ、みたいな感じ。

とりあえずのインボックスと、決められた何かの場所と、そういう住み分けが出来るとええんかな。そもそも何があるのだろうか。

何があるか把握する→場所を決める、というのがセオリーだそうで、それに則ってやってみようかとも思いながら、まあまあめんどい。

棚は増設したいので増設する(やっぱり)。

 

今付いている分の上に3段くらいの箱棚をつけていく方針だ。

 

2018年春

棚だけでなく、環境全体を一度見直す必要があると思うので、そんなん少しずつやっていきたい。基礎に返るようなイメージで自由に構想したい。

仕事方面は方針がまとまったのでお客さんとのやり取りがしやすくなり、またリピートのお客さんも増えてきたのに加えて、勉強することの具体的な見通しが立って、先月に比べて状況が進展したのを感じる。1つ、やりたいなと思っている方面がまだなので、そっちについてはこれからやね。

小手毬は新芽が日に日に膨らんで大方芽吹き。他の植物も芽に動きが出ているので、寒菊以外では今年初めて全体的に液肥をやっといた。

お世話になった先生が移籍するそうで、送別会が近くある。その先生の行き先は妻の実家の近くだったので、移籍後も会いに行けるとええなと思う。

写真は世話になった盆栽の親方とこの梅樹。

 

 

ええ歌を知った

f:id:tprr65:20170226121905j:plain

春一番が吹くとの予報」と朝一番に聞いて、そんな予報ができたもんかのと思いながら、現場でそんな話をしていると海風がだんだんと強くなった昼。今ggってみると中国・九州・北陸ではすでに吹き、関西はこれからの様子。

 

今日は神戸三宮近辺で知り合いの社長が呼んでくれたので行ってきた。ものづくり一本でやってきてそういう感覚を持った人で、そういう感覚を少しでも知りたいと日々の疑問をあれこれと尋ねながら毎回仕事している。ものについての感覚や素材の硬さ、力の入り方、入れ方。道具の使い方や方針の立て方。ものを作ること自体から昔と今の中国のものづくりにまで話が及ぶ。

 

昨年、図書館で借りてきたCDでCourtney Pineという人のものがある。1曲、ゆったりした優しい雰囲気の曲で気に入って何度も聞いていた曲があった。

 

Courtney Pine - Wikipedia

 

Courtney Pine CBE (born 18 March 1964 in London) is a British jazz musician, who was the principal founder in the 1980s of the black British band the Jazz Warriors. Although known primarily for his saxophone playing. Pine is a multi-instrumentalist, also playing the flute, clarinet, bass clarinet and keyboards. On his 2011 album, Europa, he plays almost exclusively bass clarinet.

 

去年はまたBob Marleyをよく聴いていた。ある曲を聴くとその時期のムードとか生きる気分とかをまとめて思い出すことがある。というか「その時になる」というか。この前は Nice Timeを聴いて、17年の2月頃、よく晴れた日が続いて昼間多少暖かいときに窓を開けてこの曲を流してコーヒーを飲んだ時間を思い出した。

 

妻に聴かせようとして、itunesで彼の名前を検索すると、出てきたリストにCourtney Pineの名前が混じっていた。それが先述の気に入っていた曲で、検索してそれがBob Marleyの曲であったことを知る。道理で優しいはずだと思う。

 

タイトルはRedemption Songという。

 

Redemption は Redemptio(redimo + tio)に由来する語で、救済・償還・贖いという意味。redimoは買い戻す、身代金を払う、罪滅ぼしをする、贖う、救うといった意味の言葉で接尾辞tioが付いて名詞化。

 

 

www.youtube.com

Won’t you help to sing 

The song of freedom

 

とBobが歌うのを聴いて感じるところすこぶる多く、この曲を通して考えたり振り返ったりして救われるところもまた多い。

 

物を作ることやその技術についても思うところ多くあって、この曲と出会ったのは嬉しかった。

 

f:id:tprr65:20170226121831j:plain

小手毬に薔薇、ラナンキュラス、薔薇の足元は常盤ガマズミか。冒頭は小手毬の気に入ってる写真。

左はサボテンのさぼ太とその奥に雲竜柳。柳はこの後、根が出てわさわさになった。挿し木が愛媛の実家にも行った。今は葉が落ちて丸裸。芽は出るかな。

 

活けた花の写真も撮っとくと何かとええね。

木を組むことについて

f:id:tprr65:20180121173556j:image

前までの木工は切った張ったの一本勝負やった。しばらく木を組んでみたいと思っていた。ノミも手に入れた。けどちょっとハードルがあった。

そんな中で隣の親父さんに砥石をもらってノミを研ぐようになった。ほんで彫ったり削ったりしているとだんだん馴染んできたので、デッサン的に木を組んでみた。それがこちら⬇︎

f:id:tprr65:20180121172745j:image

それで面白くなったので(構想ばかり膨らんである意味ストレスになってた)椅子を作った。それが上掲の写真。

先週ぐらいにテーブルを高くしてたので椅子を増やしたかったのだ。そりゃあもちろんぐらつきはあるし、隙間もある。でもいろいろわかったりしたことと比べると小さなことだ。

「とりあえず習作、さっさとデッサン主義」がこちら方面でも回り出して嬉しい。

コーヒー飲も。

 

 

そろそろ暖くなってくれていいと思う

f:id:tprr65:20170527173435j:plain

と妻が言うので笑っていたが、実際のところ言う通りだ。といってもあとふた月はこんな調子か。寒さゆえに外での作業は億劫になって、コーヒー・タバコをヤる合間の細切れ時間でちょこちょこと。おかげで家の中での作業が多くなって、壁の付けれそうなところには棚が増えている最中だ。

 

外での作業がしたいのはなぜかというと、その時間が自分にとってアレと向き合う時間になっているからだよ。木を見て、構造を考えて、力の入り具合を思い、手を動かして道具を使って、それをやる。そうすると直接は関係ないかもしれんし、すごいひっそりとやけど、明らかに関係しているアレがそこに出てくる。そこにっていうか私(?)に。

「物語ることは何かを流す」というようなことを河合先生が言っていたのを思い出す。「癒し」というところに押し込めるには大きく見えるけど、マア、そういう側面もあるか。

この歳になって思うのは、恐れを見ずに済ますことはできる、ということ。そうして見ずに済ましたことがどうなるのかは知らない。ユンギアンは見ずに済ませたものは回帰してくるって言うけど、それより先に寿命が来るかもしれないし、別に義務ではない。

けど、受け入れたら世界は広がるもんね。

 

しばらく本を読むのを習慣にしてきて、今も読んでいる。習慣ができて長いので、困ることは少なくなった反面、流して読んだりしてわかったつもりみたいなことも多くなった。これは一人で読んでいるのもあるだろうと思う。

tumblrでも機械的なリブログは依然続いているが、ぱっと見て大体の意味をとって、アアあれね、はいリブログ。本当のところ、何がしたくてやっているのかわからんところがおもろい。いや、そうかな?でもやるけどね。

 

そういう話じゃなかったね。テクストを読む際の慣れはあんまりええ方向に働かんこともあるんじゃないかなと思っている。エラーはもちろん減る。けどエラーを出す方が面白い世界もあって、慣れはそこから人を遠ざけるような気がするんです。

なんか知らん、トライアンドエラーが面白くて、作業場でそうやってカチャカチャやって、そうして失敗するとその時もやっぱりアレが出てくる。それを見ずには始まらんので付き合う。

 

そんなことをやっていると、また文字の方へも変化があって面白い。

 

今日はいい感じの松(多分)が家にあったので、スツールベンチ的なヤツを作ろうと図面を書いた。昼頃にか、荒材をまた買ってきてその木と組もうと思っている。

 

写真は昨年梅雨入り前頃の芍薬の切り花で、この数日前にまん丸の蕾のを買ってきたら急に綻んだので驚いたのを思い出す。畑があったら山盛り植えたい花の一つ。そんなことを言うてる間に、また時期が来るだろう。

さて新年だ。

f:id:tprr65:20160910151654j:plain

去年の冬至ごろにすでに年が開けたような気分でゆったりしていたので、年が暮れても開けても始終ゆったりとして座ったり横になったり、こんな正月はこれまでなかったな、と思った。

そう思ってなんでまたこんな気分で年を越したのやろと思うと、なんやかんや落ち着いたり見通しが立ったりしたのもあるだろうけど、そういうのも抜きにすると暦からの距離ができたんかな、と思った。

そりゃまあもちろんこの15年ほど曜日とあんまり関わらんような生活をしているのやけど、関わらんとは言うても、なんと言うても暦やもん、大きな物語ですよ。それはやっぱり横目に気になってはいたのやろね。

けど今年気にならんというのは距離ができたということで、ということはもしかすると受け入れたんかな、自分の物語を、とかって思って今日なんか車走らせながら嬉しかった。それか、マア、開き直りの三太郎というか、あるいは図々しさよ三十路の半ばという奴か。

実際のところその辺の具合がどんなもんかは知らんけど、ほんで知らん間にあった距離ができたことへの拗ねみたいなのも知らん間に無くなったのかは知らんけど、なんか知らん社会というものはあるものだなあ、と思った。(なんか知らん)

そう思って、知らん間にいなくなってしまった大人のひとたちが帰ってきたらええ加減駄々をこねてやろうという気分もなくなって、マアエエカというような気分になった途端、同じ部屋にそのひとたちがずっといたことに気づく平和な喜劇。そんな風なおかしみがある気がして自分を(自分と)笑った。

それでも距離は適宜あって(たぶん)、それを含めて受け入れて(おおむね)、そうするとかえってそれをそれとして尊重するような気持ちが生まれるものだ。道行く人の興に添えて、松と南天を活けてみたりしたのも楽しい。

さて、そういうわけで2018年、明けましておめでとう。

明けましたね、今年もよろしく。

技術について

f:id:tprr65:20171226235812j:plain

 

技術的なところの自信が欲しい、としばらく思っていた。文章を読むことや物事を解釈することだけでなくて、その先に技術があれば何かが回るはずだと思って。

この数年はその先の出所がなかったので、その回路は内うちで蕩尽されていた。

内にぐるぐる回って外に出ないというのは、あんまり愉快なものではない。

 

まず内で回って外に出ていないことに気づき、それから外に出す仕方を知らないことに気づき、それを出す仕方が広く技術と呼ばれていることに気づく。

そして技術への憧れを持ちはじめ、まだ見ぬ技術を思う。

それを実現させる道具を得、材料を得て、おそるおそる手を動かしはじめる。

たくさんの失敗とそこから得られた何か、また得られた何かをヒントにして、また手を動かして得られた成果物。

それをきっかけとしてその横の、斜め横の技術への憧れがまた生まれ、道具を得、手を動かす。

人に聞きはじめる、これはどうやってやればいいのだろう。

また問う、この道具はどうやって使うのがいいのだろう。

そして問いと答えが、見える世界を変えうることを知る。

また同時にすぐに飲み込めない答えがあることを知る。

そしてまた今度は自分に問いながら手を動かす。

あるいは材へ、道具へ問いながら手を動かす。

 

そんなプロセス、そこから先にある開けたところにこのところ出て、また分からないことは多く、けどちょっとだけ自分の技術が人の役に立つようになってきたな、と思う。

年末にあって、なかなかしみじみとした夜だ。

 

そういえば技術についての話のアウトラインを書いたのをHTN氏に見せてなかった。

送っとこ。

(写真は最近作った棚。同じ感じのやつを別の場所に他に2つつけた。)

11月は結構めまぐるしい

f:id:tprr65:20171019153956j:plain

 

と石井氏が言うていたが、実際そんな感じだ。
12月になるとスッとまとまりが出るという話なので期待している(占い)。

 

石井ゆかりさんとこ

http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/

仕事でジモティを使うというのはこれまで思いつかんかったけど、昨日遊びに来たF氏が「いんでない?」というので開始した。

 

今日また来てくれて、様々会議しながら書いていった。

 

そしたら依頼もすぐに来た。

ジモティって機能してるのかどうなんかわからんかったけど割と活発っぽい。

 

今の派遣仕事はとりあえずそのままやってこうと思う。

でも体動かす方にシフトしていきたいというのはやっぱり強くある。

ジモティに加えて手書きのチラシも作ったので、それを近隣の事務所やお店に配って、そっちの方の依頼が継続的に来るようになったらええなと思う。

週に10単位ぐらいやりたい。 

引き続きできる事を書いていく予定。

リストアップとかする。

上の写真は屋久島野紺菊で可愛らしいすっきりとした花を咲かせてくれた。
今は足摺野路菊が咲いている。これは足摺岬と思っていたら、それだけではなくて宇和島から佐田岬にかけても分布するらしく、思わぬところで地元品種を買ってきたのだった。なんとなく嬉しかったね。花も葉も柔らかくって可愛らしいし。

下の写真は勢い増した絹枝さん。ずんずん進むよ!

f:id:tprr65:20171104143459j:plain