植物身辺帳

種植えて新芽出て伸び葉が茂り蕾が出来てついに花咲く

唐辛子の紅深まる

ある島で過ごしていた頃、ある秋の夜長、そろそろアーレントのことを書いとこうと思って書いたことがある。あれは震災の前の秋だったから、そうするともう7年にもなるのか、とその夜に似て少しひんやりした静けさの中に思った。

 

先日読んだ文章に、心は宝石の多面体に似て、という風な話があって、それをすかさず翻案したのは昨日の淡路の公園でのことだったが、それにしてもこのところ思い起こすエピソードや雰囲気は先日の暑さの中にはその端も見えなかったようなことばかりで、秋の面が現れたのだなあ、と思われて、なんとなくウイスキーをやりたくなる。

 

昨日のK氏との話では「初めての記憶」というテーマがでてきた。初めてのではないものの、秋の記憶で古いものの中にこのようなものがあった。

祖母におぶってもらって田んぼの間の道をゆく。田んぼの向こうに駅、その向こうに山がある。その山に向かってわあっと大きな声を出す。声が大きいねえ、と祖母が笑う。

これはなんとなく秋だったような気がしている。今となっては、秋が似合うような気がする、との区別も付かないけど。

 

不思議なことに、以前は内容だけ残してその感触を失ったように感じられたこういう記憶が、季節の度毎にその感触を取り戻していっている。生きる中で懐かしい感触を覚えることが増えた。あるいは逆に感触がはっきりしてきて、それらがひとつひとつ懐かしいのかもしれない。それはでもどちらでもよくて、いずれにしても、今の只今に生きたいと自分がうっすら感じて、そう言葉にしてきたのは、実際なってみるとこういうことだったかと、ほのぼのと、また静かにうれしく感じられる。

 

昨日会って話したK氏は、色々の方面ヤッているなという様子で刺激を受けたし、元気そうでよかった。打ち合わせた仕事の方もいい仕事になりそうでうれしい。某小学校の話も一緒にしていけたらいいと思う。島での話の進み方によく似ていたのもあってあらためて縁を思った。

 

H氏とやっているいっしょに買っちゃいましょう企画第二弾の蜜蝋が届いた。木のこまごましたものに塗るつもりだったのが、靴にも使えるとのことで、秋の風に吹かれてショボショボしてしまっている革靴もそろそろ手入れしてやろうと思う。来月の合宿のときに分けるよ。

 

塗料関連でついでに、柿渋のタンニンと結合さしてやろうと思って、鉄漿を作っている。錆びた鉄を酢に溶かしてそれを柿渋に混ぜるということで、まず鉄を錆びさせていたのが錆びたので、今日の夕方酢漬けにした。これを鉄漿(かね)といい、柿渋と混ぜると真っ黒の液体ができるそうだ。漆の仲間のヌルデの根にできる虫こぶ、タンニンを豊富に含むこれを五倍子(ふし)と言い、その粉と鉄漿ををかつては歯に塗っておはぐろとした。

柿渋は不思議な液体で、墨汁と混ぜたらゲル化するが、何が変わるのか水で薄めた墨汁と混ぜると黒液となる。鉄漿と混ぜてどうなるだろう。

写真は撮るのを忘れていた!なんと!

明日撮ろ。

 

唐辛子やなんかもようできとるのを明日には写真撮ろう。

いつの間にかちょっと減ったのは帰り道賑やかな小学生たちの仕業か、いや、そんなのは詮無いことだ。

そう言いながらもパセリに付いていた虫の名前を教えてもらったり、バジルをあげたりして一応は良好な関係を保っていると思う。

なんの事か、そうだ、酔っているのだ、私は。

記録について

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ちょっとした手間やけど、何か作ったらその都度記録しておくのは重要だ。

カメラもすぐあることやけんね。撮ってちょっと書いておくと、台のように塗料を塗ったり、テーブルみたいに形を変えたりしたときの追記がしやすいと思う。

人間は新鮮さをずっとは持てないらしく、時間が経つと使うのが当たり前になって作ったこととか忘れるし。(そういえばトイレの棚もリストに書くのを忘れていた。)

製作の足取りを振り返ることで別の分岐を見出すこともできる。記録があればそこに戻ってそっちに行ってみる、ということができるわけだ。

そんなわけで、今後は何か作業したら写真を撮っておこうと思う。

 

先日の「わが木工のあゆみ」にも写真載っけたよ。

写真は先々週に滝畑小学校跡に行った時に撮った食堂の写真。めっちゃいい椅子。

わが木工のあゆみ

去年の10月の末にそれまで住んでいたあじさいマンションから今の家に引っ越したとき、これから遊べるようになるな、と思ったのは裏に多少の土間があったからだった。棚や台などすぐに必要なものを少しづつ作り始めて、今できあがったものを見渡すと気に入ったものがたくさんある。

コンロから渡した台。家に付いてあるコンロ台はよくある二口用のもの。よくある流しとまな板スペースとセットになったやつだ。一方うちにあるコンロはカセット式のコンパクトなもの。そこをどうにかできないかと考えたのが渡し台で、1300×300の松材のテーブルの一方の足が短くしてあって、そちら側がコンロ台に引っ掛けられるようにしてある。コンロは本来のコンロ台の真上あたりに置かれている。その上に小さなペンダントライトが吊り下がっていて、こうやって文章を書いたり、コーヒーを淹れて飲んだりするのにちょうどいいスペースになっている。

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その台だけだとコンロ台が余るので、その横にそこを埋める台をあとで作った。これには墨で臺と大きく書いた。この2つの台でちょうどL字型ができて収まりがいい。鍋を下に入れたりもできる。

(追記:これを書いた後で、その奥の隙間も埋めた。)

先日のこと、HTNさんと柿渋を塗ったのがこの一つ目の台で、あれからまた色深まって落ち着きと華やかさがともに出た。遠目にはマットだが近づくとうっすらとした艶があって、それがまたいい。

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棚1号~3号。どれも同じ設計のもので12mmベニヤの棚板3枚に細い材(これなんてんだっけ)の柱を4本でだいたい300×600×900、1号は薄いベニヤの背板とあとから棚板が1枚追加されている。幅900の棚の1番上のスペースが85なので少し狭いかと思いながら試しにやってみたけど、これの使い勝手がよかった。窓際に設置され、本や文房具を入れた箱など、また上に花瓶などが置かれていたが、絹枝のためのスペースとしてすべての家具がその部屋から出される計画が実行される際に後述のテーブルとともに移動され、現在では上記の台の下にすっぽりと収まって、引き続き文房具と少しの本、またラップ類などが置かれている。上2段に置かれる引き出し様の箱を今一つずつ作っているところ。

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(追記:これが1号。現在は上段に棚板追加されて、台の下へ。)

テーブル。このテーブルはとてもよかった。垂木用の材で足を作り、天板は(ちょっとだけ)奮発して松材を2枚合わせて600×1300になったように記憶している。1階に置かれ、はじめは高さが750くらいあって椅子を使っていたのを、絹枝が生まれてから低くして、そのあと2階に持って上がった。

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(追記:これは足が長かったときのテーブル。柿渋塗りたい。こう見ているとまた足長欲も出る。)

いろいろと作ったものだ。作りたいものは引き続きいろいろと出て来るが、それに加えてこういう技術を身につけたい、こういう道具がほしいというのが具体的になってきたのが面白く感じられる。

 

この家に来てから作ったものをリストにしておこう。

台2つ

テーブル1つ

棚3つ

外の工具棚

ハンガーラック

腰掛け2つ

便所の棚

箱3つ

箸1膳

スプーン1つ

離乳食匙2つ

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(追記:スプーンと離乳食匙。HTN氏の甥っ子姪っ子さんにプレゼントした。その後、もひとつ製作。ミツロウワックスを塗る予定。)

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(追記:箱。柿渋と鉄を混ぜて塗った。激渋。台の下で調味料引き出しとして活躍中。)

(追記2:このときの鉄はディアナチュラ社のものを使った。サプリ。妻の鉄剤がちょうど棚にあったのでそれを水に溶かして柿渋と混ぜた。)

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(追記:そういえばこれも作ったのであった。ライト。布は麻布を妻が縫って作ってくれた。)
 

これから作りたいのは

棚(押入れの中に組み込む、1500×900×350くらいの予定)

スツール(ほぞ組み、ノミの練習のため、15°ジグ作る)

額縁(45°ジグ、チギリ練習)

珈琲一式のための箱(棚に置く)

台の奥の台(スペーサー)

そこに置く台と箱(調味料・香辛料を置く)

お膳(ご飯を食べるときに使う、わりと急務)

引き出し的な箱

裏の棚(靴、洗剤を置く)

積み木(これについてはまた書こう)

 

方向としては必要に応じた家具と指物的な方向。とりあえずはノミを研ぐための砥石と材料がほしい。額縁にはベルトクランプがあると便利そうだ。

引き続き需要に応えたものづくりのを通して研鑽を積んで参りたいと考えている。

ファーベルファーベル!

 

柿渋

HTNさんといっしょに柿渋を買って、このまえ遊びにきてくれたときに開けて、いっしょに塗った。ドハデな匂いがするとかいう触れ込みだったので、二人でおそるおそる開けてみたけど、多少あるぐらいでそんなに言うほど臭いということもなくて安心した。

コンロ台に渡してある松板を前々から保護したかったので、まずはそれを塗った。塗り始めあっさりした仕上がりだったのが、3日経つと深みを増して、色も出て、とても美しい。

艶は少しあるというぐらい。水は弾いているので、保護には充分だろうと思う。

妻が帰ってきて外に置いてあった板のところで「なにこれ臭いー」と言っていて、謝りつつも可笑しかった。

 

しばらく1人であれこれやっていたが、HTN氏といっしょにやったらやはり楽しい。旅は道連れだい。

HTNさんは蜜蝋ワックスが前々から気になっているご様子。蜜蝋と柿渋の組み合わせは艶も出そうでコレマタ良さそうである。

次回の共同購入は蜜蝋を計画したい。密猟計画。

 

そういえば、お膳のようなぐらいの小さな台があればいいな、と思っていたところ。椅子を使うテーブルの足を短くして、それをまた2階に持って行ったので、今は1階に机相当のものが何もなくて、食事をするのに畳の上に並べているのだ。今度はそれのまともなヤツを作って、柿渋と蜜蝋を塗り込めることにしようかな。

HTNさんどうもありがとう、また遊びましょうね。

明道館

阪大の端っこに明道館という建物がある。

私がまだぴちぴちの新入生のころ、入学してまだ講義も始まってなかったその日、私は何かの用事で学校に行ってぶらぶらしたあと、3食か4食(生協の建物の3階と4階にそれぞれある食堂)に入って定食を食べた。窓の外に目をやると、古いコンクリートの建物があった。壁にはペンキで何やら字が書かれていて、異様な雰囲気を醸していた。

ここには近づかん方がええな、と思ったその建物が、それから7年もの長きに渡って私が世話になることになるその明道館であった。おかげで何年も留年した。

1階がコの字、2階がロの字型の2階建てで、写真部の部室はちょうどコの字の開いたところにある入り口を入って左、2階へ上がる階段のすぐ脇にあった。対称型で、反対側にも同じく階段があった。

その階段を上がると頼りなげな梯子があって、屋上に上がるにはそれを使う。高さが足りない分に別のものを紐で結んで継いであったような覚えがある。ゆらゆらと揺れて恐ろしかった。夜になると酔っ払った学生がウイスキーの瓶を器用に持って、そこを通って屋上で1杯やるのだ。上がっても生協のビルと森に囲まれているので、眺めとかいう話ではないが、それでも。

さすがに夜中は演らなかったが、音楽サークルは数々あって、昼間はいつも何かの演奏が聞こえていたように思う。何かの演奏と、あらゆる組織の喧騒と。

後に世話になった囲碁部もここにあった。

近づかん方がええな、と思ったところにいつのまにか入って、人生の短くない期間を過ごして、出た後で振り返ると、恵まれたところであったように思う。人々も皆何かしらの才能に恵まれていた。

なんやかんやあって結局、塗り直しが行われ、学生運動の名残のそのペンキも新しいペンキで覆われて、雰囲気は多少ソフィスティケーテッドですけど、今も待兼山の端っこにちゃんとある。

 

その当時、何かの集まりで先輩のカメラで私が撮った写真を別の先輩が冊子に載せてくれた。

それをまた別の先輩が先日飲んだときに渡してくれた。

懐かしい面々。


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神々の世界

 誰やらが若い頃にはジャズが沁みる時期というのがあるものだ、と言っていたのを聞いたときに思い出したが、中学1年生の頃、ふと気づくと活字の世界に浸り込んでいたときがあった。それまでは活字はあくまでも活字であって、意味を示すもの、言うたら意味を示すインクの染みであったのやけど、そのときはそれが自分を経由せずにそのまま内的世界と接続したような感じがして、それがしばらく続いたのを覚えている。不思議な体験であったし、ちょっとした狂気の感もあって今から思えば多少危なげではあるが、本を開けばその抽象が直截流れ込んで私において世界を象る、というのはその時の自分も感じていたように美しい体験であった。そしてその体験を誰かひとに伝えられるほどの言葉の持ち合わせもなく言い方も知らず、図書室の本はひとり少年の秘密の花園であった。(な笑いそ。)

今、こうして思い出すと仮初に本を象ったさまざまな世界への扉が思い浮かぶ

 

その一冊にグラハムハンコックの『神々の指紋』があった。これは10000年以上前の古代文明の存在を立証しようとした本で、アトランティスやムーを始めとした話がノンフィクション仕立てで語られていた(ように思う)。論の立て方やら考証の方法やらよろしくない評判も多く、オカルト絡みの扱いを受けているが、活字を覚えたての少年に真偽などわかろうはずもなく、というか内容自体もわかったようなわからんようなまま一生懸命読んで(超古代文明と接続して)いた。

 

先日、妻と娘と本屋ツアーをしたとき、デューク書店を経て古本市場に行くと、同じ著者の『神々の世界』(原タイトルは『Under World』)が80円になっていて心惹かれてしまった。  世界史、世界史、と思っていたら変なところへ迷い込んでしまったらしい。

事実に対する敬意、ということを考えたりしていたところであったにも関わらず、別の私の声で、読むリテラシーはしっかりできたじゃないか、君なら事実と事実でないところを分けながら読めるよ、などとどこかで言うので買うた。買うてしもうた。

そして帰って読むと面白い。どうも困った話だ。

 

神々の世界(上)

神々の世界(上)

 

 

下巻には噂の与那国海中遺跡の話があるのか。

なんかもうちょっと信頼できそうな本であればと、それだけが(かなり)惜しまれる。

耳袋

 

とある処でご紹介を受けて、耳袋をアマゾンで買った。平凡社ライブラリーの装丁はよく出来ているとつくづく思う。 これは平ラのいつものヤツに、渡辺崋山の遊戯図、右に糸綴。ええなあ。 

耳袋 1 (平凡社ライブラリー340)

耳袋 1 (平凡社ライブラリー340)

 

この本は寛政の頃のお奉行さん、根岸鎮衛という人が集めたエピソードをまとめたもの。書きとどめて1袋に入れといたのを、って言っているので、カード使いであったのだろうと推察される。ここに序を引用さしてもらおう。

此耳嚢は、営中勤仕のいとま、古老の物語或は閑居へ訪来る人の雑談、耳にとどまりて面白きと思いし事ども、又は子弟の心得にもならんと思う事、書きとゞめて一嚢へ入れ置きしに、塵積り山とはなりぬ。つかね捨てんも本意なく、其実を拾い其葉を捨てんと、幾度か硯にむかい筆をとりけれど、官務のいといとまなきに校輯も等閑となりぬ。此双紙は、恐れ多くも、公の御事等をも載せぬれば、世の人に見すべきにもあらねど、聞きし儘にしるしぬ。市中の鄙語など誠に戯れ言なれど、是も聞きしまゝに洩らさず書綴りぬ。数多きうちには偽の言葉もありぬべけれど、語る人の偽は知らず、見聞きし事を有りの儘に記して、予が子弟に残し置きぬ。他門の見ん事はかたく禁しめぬれば、文章の拙きもまた取かざるべきにあらずと云爾。

東都 藤原守信自叙

収められたエピソードはそれぞれがそれぞれ立っていて、さながら石を集めた箱のような趣。

玉石の事

いつのころにやありし、長崎の町家の石ずえになしたる石より、たえず水気潤い出でしを唐人見て、右石を貰いたき由申しければ、仔細ある石ならんとその主人これを惜しみ、右石ずえをとりかえて取入れて見しに、とこしなえにうるおい水のいでけるにぞ、「これははたして石中に玉こそありなん」といろゝゝ評議して、打寄りつれゞゝにみがきとりけるに、誤って打ちわりぬ。その石中より水流れ出でて小魚いでけるが、たちまち死しければ取捨てゝ済ましぬ。その事、あとにてかの唐人聞きて、涙を流してこれを惜しみけるゆえ、くわしくたずねければ、「右は玉中に蟄せしものありて、右玉の損ぜざるようにしずかに磨き上げぬれば千金の器物なり。惜しむべし、ゝゝゝゞゝ。」といいしとなり。世に蟄竜などいえるたぐいもかゝる物なるべしと、かの地へ到りし者語りぬ。

こうやって残しておいてくれたことがすでにしてありがたいことであるよ。